11話
「・・・あの綾が、中学校に入学だなんて・・。」
中学校指定の制服が届いてからだった。
ママは何回、この言葉を言ったか分からないくらい。
言いながら、決まって目を潤ませて鼻までかんだりし出すくらいなのだから、
(それだけ言うと、まるで私。育たない子だと思っていたと、バレバレだよ?・・・。)
心の中で言っても、もちろん言葉には出さなかったわ。
「綾はね、新生児の時は、首だって自分で動かせない子だったのよ。」
(それは、何百回聞かされた話?)
彼女の中で、鮮明に残っている映像だったのだとは思う。けれど、あまり何回も言われると、ありがたみのなくなる話になってしまうよね。
いつものママは、あまり母親らしい人じゃなかったから。
これはあまり述べたくはない事実なのだけれど、母親代わりをしてくれたのは、女中のキミさんや、門田さんの二人の方だった。
ママは、自分の容姿が衰えないように、手入れするのに必死だったから。
男の人に微笑みかけるママは、私からみても、ギョッとするくらい色気があったわ。
ママと私の見た目は、とっても似ているんだって。
それくらいはアキも知ってるわよね。家に何回も遊びに来てたのだから。
でも、あの妖しい雰囲気は、残念なんだか、そうでないのか。よく分からないけれど、私には受け継がれなかった。
どちらかと言うと、竹林家に養子に入ったヒカル兄さんがママの色気を受け継いだように思うの。
あまり話さなかったけれど、私にはお兄さんが二人いるのは知っているよね。
直樹兄さんと、ヒカル兄さん。
男子に恵まれなかった本妻さんが、兄さん達を引き取ったらしい事も・・。
ママは口には出さないけれど、自分が生んだ子供たちが、二人とも取り上げられた事に、苦しんでいるようだった。
『私は、お金で買われた女だから・・。』
その言葉を、たまにつぶやくママの声は、かすれていたわ。
贅沢な暮しをする代償に、子供を渡した現実は、ママの神経をゆっくりとだけど、すり減らしていったんじゃないかなあ。
大人になってから、思った事なんだけどね。
私の世話をほとんどせずに、自分磨きにばかり精をだしても、どこかしら暗い雰囲気が漂っていたわ。妖しげな色気は、そんなとこからきてたのかな?
ママにはたまに、学校に連れて行かれたわ。
直樹兄さんと、ヒカル兄さんが通う、香徳大付属幼稚園や、小学校。 中学校の入学式とか、音楽会とか、文化祭とか、イベントがあるたびに、何気に、けれども絶対に、ママは私を一緒に連れて行った。
学校に行って、直樹兄さんはともかく、ヒカル兄さんは探すたびに、すぐに見つけることができた。
それほど、たくさんの生徒達がいても、ヒカル兄さんは、人目についたから。
ママ顔負けに、妖しい雰囲気を持っていた人だった。
彼こそ日本人形の妖しさ。心もとなさを同時に秘めて、匂いたつような雰囲気をもって、周囲を惑わしている感じをうけたわ。
そんな人いる?なんて、アキは思うかも知れないね。
でも実際、私がみたヒカル兄さんは、そんな感じだったの。
ママはいつも、心配げにヒカル兄さんを見つめていた。実の母親なんて告白さえせずに、遠くから、見守るだけだったけれど。
ヒカル兄さんは、幸せそうじゃなかった。
対して、直樹兄さんは背が高くて、メガネをかけて、秀才然としていて、よりつきにくい雰囲気をもっていたかな。
二人の息子を、遠くから見つめるママの瞳は寂しげだった。
そんなママの姿を、私はぼんやり見ているだけだったわ。
見るだけしかしない、ママの行動を、不思議には思ったものの、それ以上、それ以下ではない。
ただヒカル兄さんを見た時だけは、竹林家に養子に出されなくてよかった。なんて思ってホッとしたのは確か。
香徳大付属・・なんて、そうそう入れる学校じゃないのは、アキだって知っているよね。
ハイレベルな学校に通わせてもらって、将来医者になる道が保障されて・・・それも大病院の理事長の跡取り息子なんだから、とても明るい未来を持つ人のはずだった。けれども、ヒカル兄さんの瞳は、輝いていなかった。
ある意味、荒んでいて、それがまた見る人の心を揺さぶるのかもしれないけれど、男であの雰囲気は、どうだかと思ったわ。
ママの雰囲気を持つのはある種、不幸を呼び寄せるものなのかも知れない。
ママも幸せそうじゃなかったから。
本当にたまにしか来ない“叔父さん”(お父さん)を、待つだけの日々を送るママの人生って何なのだろう。なんて、ある程度大きくなった私は思ったものだったわ。
男性の前に立ったママは、妖しく匂いたつ華を持った蝶に変貌する。
そんな色気、私には、全くないものだよね。
っていうか、そんなモノいらない。
必要ない。